第一次アナトリア危機

[Season4]第一次アナトリア危機とは (基本)

参戦国 ビザンツ陣営 ビザンツ帝国、オスマン帝国、ソ連、英国、フランソワ、大日本、ウクライナソビエト (旅人)

    オーシア陣営 オーシア、ドナウ=アナトリア(ロンメル)、月雲、ソ連(裏切り)、ポーリト(途中退会)  『第三世界』

時期 2024年7/9~7/14日

結果 戦火拡大を恐れ、ビザンツ、ロンメル双方が白紙講話で合意

概要 元は7/9日のイベントに遡る。[ビザンツの皇太子がオーシアの過激派組織に準じていた青年に暗殺される。]この       イベントによりビザンツ、オーシアは強制戦争となった。史上初めての強制戦争、しかしこれが世界を巻き込む大戦に足を突っ込むとは思われていなかった。ビザンツはオスマンと同君連合であり、英国と同盟していた。一方オーシアは対英の第三世界(フォニデ)に加盟していた。第三世界とビザンツの仲は絶望的であり、これを好機と捉える国が多かった。

前歴

なぜ第三世界とビザンツの仲は絶望的な状態であるのか、それはSeason初期にまで遡る。

Seasonの最初期の頃、ビザンツ帝国は第三世界とも友好的な関係を受けていた。、その時に一つの事件を起こした。7月5日に発生したジブラルタル紛争である。ジブラルタルを当時地中海の玄関口全てを手に入れようとしたビザンツがスペインの国ノートの有無を理由に植民をしようと起こした事件であったが、ここでスペインの同盟国であったポルトガルに通告を受けるまでの事態になった。紛争は戦争に発展する事は無かったが、ポルトガルを嫌悪したビザンツにより対ポルトガル包囲網に加盟した。これは実質的な第三世界での加盟であった。

しかし7月7日にポルトガル王国が崩壊し、その経済をイギリスに流れると、対ポルトガル包囲網は対英包囲網に変化。そして、同日夜になおにゃんの独断により、宣戦布告を行いSeason発の戦争に至った。

翌7月8日にビザンツ帝国がその情報を知ると激怒し、第三世界もとい対英包囲網を脱退し、英国と同盟する事を宣言した。

発生から結末

7/10日 強制戦争の時期についてオーシア、ビザンツ間で会話が行われ戦争日を7/13日に戦争が決定、これと同時に第三国の動きが始まった。

同日ソ連は英国と同盟していたのもあり、英国を通じビザンツ、おすまんまた英国同盟の国々を招集。ソ連は当時第三世界の方にいたものの裏切りを保証し情報の横流しを行う。

同日ロンメルを中心とした会議(以降第三世界と呼ぶ)でビザンツを潰すことを決定

7/11日ビザンツ陣営でおおよその作戦が決定。おすまんのみここで宣戦布告。残りはロンメル達が参戦した場合賛成で決定。18時35分頃おすまんがオーシアに宣戦布告。

同日18時45分頃第三世界にておすまんの情報が共有。ここで対おすまん戦の参戦を決定

7/12日月雲、ロンメル、ソ連、ポーリト(途中で国家崩壊)がビザンツ、おすまんに宣戦布告

同日ビザンツ陣営にて参戦日を決定。ビザンツ陣営ウクライナソビエトが参加

7月13日16時45分頃~17時10分頃英国、オーシア、大日本、ウクライナがビザンツ側で参戦

同日16時50分頃ソビエトが裏切りビザンツ側で参戦(ただし英国などからの信用が悪化)

しかしこの日戦争が起きることが無かった。

7/14日月雲、ビザンツによりソ連えの不信などからソ連に対しての情報網の締結を決定、ロンメルもこれに賛同

同日おすまん、ビザンツ、ロンメル、月雲などが会談。戦火拡大及び、ソ連裏切りえの不信があわさりビザンツとロンメルの双方で白紙講話が合意。

8時53分頃ビザンツ政府により第三世界とビザンツ陣営の白紙講話が発布

同時刻ロンメル、月雲を始め参加国にて白紙講話が宣言。同日を[世界平和の日]とし世界各国で制定された。

またこれの対応により不信が増えたソ連が包囲を組まれることとなった。

参考文献 トルコ会談、対全世界(ソ連)連盟、第三世界軍事司令部、名称は伝えられません、カイロ会談、架空国家運営Season4(事象)


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